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社長の素顔
社長の素顔
練馬区、西武池袋線の大泉学園駅。練馬区内の駅の中では、2番目の乗降客を抱える。その数、約8万人。戦後から安定的に住宅地を増やしてきた地域である。
 駅前はかなり開発が進み、高層建築と商業施設がひしめいている。そんな一等地といえる駅前に、瀧島商事株式会社がある。
「オヤジが会社を設立した50周年を迎えるにあたって、本社ビルを建てた。昭和58年にです。そのときは、オヤジの胸像を作って、除幕式までやりました」
 創業は昭和8年。創業地もここ大泉学園。瀧島の父、仁三郎氏は最初、桶屋から始めた。
「水道工事店というのは、だいたい桶屋から始まっているものなんです。その後、井戸屋になって、ポンプ屋になって、水道工事店になっている」
 瀧島平八郎は長男だった。とうぜん跡継ぎを期待されたのだ。
「本当は警察予備隊に入隊したかったんですが、勘当されそうになったのであきらめました。それにオヤジの作り上げた土台にのっかったほうがラクだと思い、跡継ぎを受けいれました。ちっともラクじゃなかったですけど」
 修業のために、名古屋にあるポンプメーカー、川本ポンプに奉公に出された。夜学にも通い、簿記を学んだ。半年後に帰ってきたら、またしても別の奉公先が決まっていて愕然とする。
「今度は杉並区にある田中工業へ行けといわれましてね。ここには2年の約束で奉公に行きました。しかしまもなく父が体をこわして、53歳で急逝してしまった」
 瀧島は2年の修業期間を待たずに、急遽実家に呼び戻される。23歳だった。その若さにして、社長になった。
「もちろん実務的経営なんてさっぱりわからなかった」
 だからまたしても夜学に通った。そこで経営や労務関係の知識をたくわえていった。会社のために東京都指定工事店の資格も取った。また、自身も給排水技術者の資格を得るなど、努力は惜しまなかった。
「営業マンを積極的に入社させて、戸建訪問を行ったり、町内会の説明会などが功を奏して、順調に売り上げをのばせました」
 その時代は、おりしも井戸から水道へと移行しはじめた時期だった。工事の需要がいくらでもあったが、受注競争も激化の難局の時代でした。
「当時の大泉は、住宅地がどんどんできたときだった。そのころ築き上げたお客さんとのおつきあいが続いたおかげで、今日があるのだと思います」

3度、死にかけ助かってきた

この業界に飛び込んで、がむしゃらに突っ走って約50年が過ぎた。しかし瀧島は、まだまだ現役を離れるつもりはない。
「やっぱりこの仕事が好きですから」
 多忙な瀧島の息抜きともいえる趣味は、盆栽と納札である。納札とは祈願祈念のために、和紙と木版で作られた千社札の貼り札を神社仏閣へ奉拝しながら納めることだ。最近は奥様と一緒にまわることも少なくないそうである。
「神仏を厚く信仰するのは、おそらく過去に3回死にそこなっているからでしょうか。最初は、赤城山のふもとへ学童疎開をしていた小学校2年のとき。米軍のグラマン戦闘機に、足下へ機銃を撃ち込まれた。間一髪でした」
 2度目は小学校4年生、江ノ島でだ。夢中で泳いでいたら、潮に流され、島ははるか遠く彼方。押し返す波で、戻るに戻れなかった。
「神様がひらめきを与えてくれたのか。波が来たら、それをブチ抜くように泳げ、と思いついた。そうしたら、無事に岸にたどりつけた」
 3度目は高校生の修学旅行のとき。沼津で、乗っていた電車とガソリンタンク車が衝突して、爆発炎上した。瀧島が本来座っていた車両に激突したのだ。しかし瀧島は、たまたま別の車両にいた。
「神のご加護というのは、やっぱりあるんでしょう」
 ただ自分の人生を振り返ってみて、今日、この場所にいられるのは、神仏のおかげばかりとはいえない。苦労と努力を人一倍重ねてきたことを、瀧島は人なつっこい笑顔の下に隠しているだけだ。
「もうひとつ加えるならば、約50年間、社長を続け、会社を守ると同時に家を守るということは温故知新、異体同心にして信用第一、創意工夫、それをいつも守ってきました。つねにらしくあろうと。わたしは、らしくという言葉が好きです」
 社長は社長らしく、職人は職人らしくと自分自身を励ましながら、浮沈の多いこの業界の中で、瀧島商事が存続してこられたのだろう。

何種類もの名刺を持つ。いくつもの団体で、要職に就いているからだ。
本業だけでも忙しいというのに、頭が下がる。
瀧島は孔子のほかに、王陽明も崇拝する。「知行合一」という言葉は、王陽明の陽明学の命題とされる言葉。知って行わないことは、知らないことと同じであるという実践を重んじる主張をあらわしている。

また練馬西納税貯蓄組合連合会長といった要職に就いているだけあって税務功労者としての表彰も受けている。

瀧島平八郎 たきしま へいはちろう
昭和12年、東京都練馬区生まれ。給排水設備施工を行う瀧島商事株式会社の代表取締役のかたわら、30団体近くのボランティア活動を行い、それだけの肩書きを持つ。神仏の信仰以外にも、50代過ぎたころから孔子の「仁」思想に傾倒している。
大泉のうどん文化を紹介している社長の記事はこちらです。

渡辺パイプ(株)発行  『kiki club 』 取材原稿抜粋






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